人には元々もって生まれた特性があります。 それを一般では、「個性」といわれたりするんですね。 でもそのことをちょっと忘れていると、 人と違うことに違和感を感じたりして悩むことがあります。 人は個々の環境で、価値観を身につけていきます。 そこで形成されてゆく性格は、自分自身の性格だからと当然のように思うのですが・・・ でも何かが違っているなあ・・・? どうしてこんなに辛いんだろう、どうして自分に自信がもてないのか、どうして他人の目が怖いのか、どうして私だけが孤立してしまったのだろう。。。 どうして人の話を素直に聞き入れられないのか、どうして人はあんなに堂々と生きていれるのだろう、どうして私だけいつも上手くいかないのだろう。。。 もしあなたが、違和感を抱えながら生きているとしたら、 それは何かが間違っているかもしれません。 もしあなたが、人と違っていて当たり前なのだと思うことが認められないでいるなら、それは何か重大なことを見落としているのかも。 もしあなたが、自分や人のせいにしたり、それが憎しみだったり、妬みだったりしていたら、何かがやはりおかしいよ。 それは、あなたがあなた自身を肯定して生きていないということですね。 人にはどうしても自分では選べることのできない「運命」というのがあります。 既にあなたの親は決まっていて、その環境の元であなたは生きていくことになります。 これが選ぶことのできない運命です。 子供のあなたはその親を無条件に信頼しながら、 親は無条件に自分を愛してくれる存在となります。 そしてどんな環境であろうと、あなたはそこで育ち、そこで価値観や性格が形成されていき、多大な影響を受けて育っていきます。 あなたが唯一選ぶことのできない「運命」を生き始めます。 でもその「運命」のなかで形成されてきたあなたは本当のあなたなのかな? 私はそれは違うときっぱり言います。 私たちは偶然に生まれてきたのでは決してありません。 神様がいるのかどうかは知りません。私たちが当たり前に神と言ってるものがただ何か知らないだけなのだと思います。 もっと言うと、私たちもそのよく分からない神の一人ともいえるからです。 私たちは生まれてきたとき、過去のことや絶対無限の場所から来た記憶は消えてしまいます。 しかしこの世界に降りてくる前は、 多くの事柄をやり遂げるために自ら希望して生まれてきました。 私は少しずつですが、何をするために生まれてきたのかが突然パッと思い出すことがあります。信じてほしいとは思いません。子どものときからひらめきが凄く、 多くの難関を乗り越えてこれたからです。 ここで少し私の話をします。 私は17歳の時、突然「カウンセラーになる」と、どこからともなく降りてきました。 しかしその時はなんでだろう?と思ってましたし、カウンセラーって何なのかさえ知りませんでしたので、すごく不思議だった感覚を覚えています。 そのことを姉にだけ話していました。 しかし姉が言った言葉は驚くものでした。 「あなたならなると思うよ」て… そうはいってもこれから社会に出ていく自分としては、そんな仕事などあるはずもないし特に興味を持っていたわけでもありません。 ですので、バイトや様々な仕事を転々としながらもなんとか過ごしていました。 高校生活は私にとっては苦痛でしかありませんでした。 そのため一年で自主退学をしたのです。 大勢の決まりきった習慣が私には耐えられませんでした。学校側には、アトピーが酷くて通えられなくなったという報告をしましたが(それもありました)、 それが一番大きな理由ではありませんでした。 中退してからは、学歴のない私はバイトでお小遣いを稼いでいました。 それでも学校での窮屈さに比べるとずっと遥かに楽しかったです。 もの作りが元々好きだった私は、手先の使う仕事が向いていると思いそうした関連の仕事に長く就いてました。見習いから手に職を付ける道は残されていた。(*^_^*) 仕事先は転々としましたが、仕事そのものは楽しかったのです。 このままこの仕事をずっと続けていくのだと私自身思っていましたので。 しかし、いつの間にか世の中はコンピュータ化していき、気づいたときは自分の好きだった仕事は必要なくなっていったのです。こんなことってあるんだと思いましたよ。 時代の流れというか…そうなると転職活動ですよ。30も半ば。 仕方がないのでとりあえず、と言った仕事ばかりあちこちでしていました。先がまったく見えないこの頃が一番最悪の時期です。(:_;) それでも何とか仕事があれば食べてはいけると夢中で仕事をこなしていました。 しかし、いつまでたっても生活そのものは楽にならず、楽しむことさえできずに数年も過ぎていきました。 そんなある日、長くお付き合いしていた相方の実家に一緒に生活しようという話になり、仕事に未練もなかったし思い切って生活を変えてみるのもありかなと思い、 新しい生活を始めたのです。 もともと一人暮らしが好きで、自分には合っていました。どちらかというと共同生活だけは自分には無理ではないかと思ってたくらいです。 お義父さんたちとの関係性を築くことには多少戸惑いもありながら、揉め事だけは起こさないように相方も気を遣ってくれていたようです。 引越して1年も経たないある日、ふと町内向け新聞の広告に目が留まりました。 その時目に入ったのが「カウンセラー専門学校」の広告でした。 振り返ってみると、若い頃からずっと「自分探し」ということをずっとやっていたように思います。私は何もの?私は何で生まれてきたの?私のいくべきとこはどこなの? キリスト教や仏教にハマった時期もあります。 どれほどの数の本を読みあさったことかしれません。 「カウンセリング=心理学」 これだ! と、私の中で何か大きな爆発が起こった感じです。 それからは素早い行動でした。 後にも先にもあんなに行動力を発揮した時期はありません。 仕事の合間や休日に専門学校に通い始め、その帰りに図書館で最低一冊は完読し、更に4.5冊借りて帰る日々。 毎日毎日勉強勉強に明け暮れていました。 更に大事なところはノートに書き写す、という作業もかなりのものでした。 生まれて初めての猛勉強体験。(; ・`д・´) 実際いろいろなことを知ることは楽しいものです。 新しい発見も多く、それと同時に自己分析に大きく役立ちました。 私がアダルトチルドレンであることも知り、いろいろ悩みもしましたが、すんなり受け入れることもできました。 ざっと短くこれまでの自分自身について話をしてきましたが、子供のころ降りてきた「カウンセラーになる」は結局実現したということです。 不思議なようですが、今思うとそこまでに積んできた経験もとても大事だったと分かります。 しかし自分にとっての本当の険しい道のりはここからでした。 それについてはここでは触れません。 いつの日かHPかブログを通して公開できればと思っています。 私は確かに直感や感覚があるほうだと思います。 ですが誰もがみんな本来は持っているものだということです。 その直感に従うか、無視するか、の違いだけ。 後に知ったのですが、降りてきた直感は今すぐ大事なことであったり、後に運命的に出合うこともあると言います。 直感は降りてくるもの。 何もないところから急にふと降りてくるものなのです。 それは自分がこの世界で希望して選んできたことだからです。忘れてしまっていることを、気づかせてくれるメッセージなのです。 ですから直感は無視してはいけない。 唯一の道しるべだからです。 しかし多くの人たちは、「天秤にかける」ことをしてそれを信じない。 「それも良いけどあれも良い、上手くいかなかったらどうしよう、人の意見を聞いてからにしよう、反対されるから無理、」等々やらない理由付けをどんどん作り出していきます。 要するに、そのように他人軸によってこの社会に流されていくのです。 直感で動く人たちこそ、行動力があり、イキイキと生きている人のように見えます。 一見変わり者のように見られますが、自分軸で自分を信じて生きている人は、他人軸で生きている人からは変わって見えるものなのです。 人生は自分のもの。 まず自分自身が元気でイキイキと楽しんでいなければ、 人への親切や愛情は見せかけだけに終わります。 純粋な「愛」は、自分が自分らしくあり、自分に優しく自分に対して寛容であることから学ぶもの。そこから初めて本当の「感謝」が生まれてきます。 するとそこからほんとの愛とは何かを知ります。 もし自分を嫌いで自分を信じることができないのなら、あなたは自分に対して優しくしてあげれていないということ。 自分に優しく扱えない人が人に対して優しくなんてできません。 見せかけはできても、そこには「愛」など決してありません。ですので常にモヤモヤがあなたを覆い、そんな自分を好きになることもできないでしょう。 自分を好きになれないとは一番辛いことです。 どんなに辛い目に遭ったとしても、自分が嫌いなことほど辛いものはありません。 だから人生は辛いだけ。だから生きていて面白くもない。 まずはそこに気づくことです。 自分自身を解放してあげること。 そこからあなたは確実に変われます。 私がお手伝いできることは、本来のあなたらしさの発見のヒントを提供できることです。 人は必ず変われます。 この創られた社会と刷り込まれた思考を知ることで、 あなたの本当の生きたい自分になる。 それについては「心の扉のポリシー」をぜひご覧ください。 |